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志野文音さんの博士論文を読む(第1章) [楽器音響]

志野文音さんは2019年3月に東京藝大大学院を修了され,現在新アルバムを発表していらっしゃる新進気鋭のクラシックギター奏者であり,また国立音大非常勤講師や母校藝大の教育研究助手を勤められるなど学究の方でもいらっしゃいます。志野文音さんはどんな論文を書かれたのだろう?と思っていましたら,ギターの音色に関する研究でした。全文と要旨が同大学のウェブページから読めます
「クラシックギターにおける奏法の違いが音色印象に与える影響」というタイトルです。



藝大大学院修了の志野文音さん
昔は他の方の学位論文は国会図書館に行かないと読めませんでしたが,今は大学のページにpdfで上がっていて全文読めます。137ページにわたる力作です。ギターの音色に関する文献として,これほどまとまったものは貴重な存在ではないでしょうか。これが居ながらにしてタダで読めるというのは,良い時代になったものです。コロナ禍の巣篭もり下で,これをじっくり拝読できるとは,ありがたい事です。

この論文の着眼点のひとつである,同じ音を違う弦でとることを,異名同音ならぬ「異弦同音」と表現されています。この論文で初めて目にした語句です。今までギター弾きがごく当たり前だと思っていた事柄であっても,それをきちんと語句で表現(定義)するだけでも,今後の学問的展開が期待できそうです。この論文では,異弦同音による音色の違いと,弾く位置の違い(これも一言で語句表現できるかもしれませんが)に関しての音色変化を客観的に調べたものです。楽器や奏者によっても違うかもしれないので,それぞれ違う楽器や奏者が弾いた音源を色んな属性の人たちに聴いてもらい,その回答を分析しています。

前に本記事でも取り上げたFletcherとRossingの「楽器の物理学」などに紹介されている様に,従来はギターの音色に関しては音響物理学的なアプローチが主だったのを,志野さんは実際に弾いた音を聴いてもらい,その聴感のアンケートの回答を統計的に分析するという手法をとっています。むろん音響心理学的なアプローチは従来もなくはないのですが,ギター音色という曖昧になりがちな対象を,「異弦同音」と,「弾く位置の違い」という2点に絞って調べたところが新規性でしょう。従来,ギターを弾く人が経験的に色々演奏で感じることをどう整理するか?それを客観的でどう他人に伝えていくか?この論文にその一つの解がある様です。

論文は6章からなっています。これを1回や2回の記事で紹介するは到底無理ですので,各章ごとに見ていくことにします。
最初のページに論文の構成をフローチャート的に示しているので,文章で記述するよりも一目で分かりやすくなっています(図1)。
図1 最初のページで示される論文の構成

第1章は序論です。3節に分かれており,1.1でクラシックギターの概要を歴史から説き起こし,音色の重要性を指摘しています。このことを調査することにした背景が詳しく書かれていて,他の音響物理的な研究の成果も引用されています。志野さんの研究は実験(試聴とアンケート調査)からの解析がメインですので,ここの記述に関しては,論旨にあまり影響しないものですが,いくつか気が付いた箇所を指摘しておきます。

1.1.1で記述のギターの歴史に関してですが,「楽器の物理学」での記述もそうでしたが,クラシックギターはスペインのビウエラから発達したと書いています。これはWilkinsonの著書にそう書かれているための様です。この本にはギターの誕生は1555年とか妙に細かく断定的に書かれているような気もします。「楽器の物理学」の記事を書いたときにも指摘しましたが,だとすると,ルネサンスギターやバロックギターは何だったんだろう?ビウエラはなぜリュート調弦なんだろう?とかの疑問は残ります。

また,18世紀から,19世紀に大作曲家の作品にもギターのものが現れたとして,ボッケリーニ,ウェーバー,シューベルト,パガニーニを挙げています。

1.1.2では,ギターの演奏に際しての音色に関する記述箇所で,「ソルのエチュードを集めた教則本」で「長調と短調で音色を変えてみるのも~」とあります。ソルの教則本だったかな?と思ったのですが,西野博の全音楽譜の記述の引用でした。「ギターは音色が大事」とは言われるものの,音色の使い分けに関してはっきりと記述している文献が少ないという事を物語っているのかもしれません。

1.2でこの研究の目的として,従来研究との違いを述べています。「楽器の物理学」のRossingらの研究は音響物理学的なアプローチであり,心理的な側面の研究は少ないこと,アンケート調査の先行研究はあるにはあるが,弾弦位置や異弦同音に絞った詳細な主観評価実験は無いとの事で,この研究のオリジナリティをアピールしています。演奏にあたって具体的に音色操作を行う手法(奏法)は,弾弦位置の変化と異弦同音の使い方だとして,それらに解析対象を絞り,音色印象と音響特徴量との対応を解明するとしています。それにより,種々のレベルの奏者への音色に関する支援や,作曲,コンピュータ音楽制作への波及を予想しています。たしかに,現在のクラシックギターのコンピュータ音源はチープな感じがします。著者の指摘の様に音響心理面ではもちろんの事,音響物理的な側面でさえも途上なのかなと思ってしまいます。

1.3では論文の構成を述べています。図1に示された内容を文章で記述したものです(つづく)。
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コメント 4

Cecilia

異弦同音による音の違い、気になっています。(私の場合は主にヴァイオリンで)
独学だった時は開放弦はヴィブラートがかからないので上級者は使わないものなんだと思っていました。でも上級者が弾くと開放弦まじりでも違和感なく聴くことができます。
またポジションを変えて弾いた時も音色が変わりますよね。

志野文音さん、初めて知りました。
by Cecilia (2021-05-01 06:59) 

Enrique

Ceciliaさん,
ポジションの違いによる音色変化が異弦同音の範疇ですね。ギターの場合,E音でいえば,①弦開放,②弦5F,③弦9F,④弦14F,⑤弦19Fの5箇所が存在します。志野文音さんのこちらの研究では,よく使われる①弦開放,②弦5F,③弦9Fについて調べていらっしゃいます。そちらの効果と,Sul TastoとSul Ponticelloと大まかに指定される弾弦位置の違いによる変化を5箇所でみた二点について,つごう3×5種類のE音について楽器の違いと奏者の違いを考慮して分析されています。
志野文音さんは新進気鋭,これから有名になる方だと思います。
by Enrique (2021-05-01 09:45) 

たこやきおやじ

Enriqueさん

論文斜め読みしてみました。(^^;
一つ気になったのは、アンケート調査の所です。クロサワ楽器のイベント来場者にアンケートしたそうですが、おそらく日本人ばかりではないかと思います。色々な国の外国人も入れたら良かったのにと思いました。(^^;
日本語の論文のため、海外からの閲覧が少ないようです。少し残念です。(^^;
by たこやきおやじ (2021-05-01 10:56) 

Enrique

たこやきおやじさん,ご指摘のアンケート調査は,楽器の違いをユーザーはどう捉えているかの,本格的な実験に入る前の簡易的な予備調査です。むしろ私はうまい方法だと思います。自発的にクラシックギター愛好者が集まっているわけですから。むしろそうでない外国人を入れようとすると,対象の人をどう選ぶかの客観的な方法を見つけるのは困難だと思います。言葉の問題もあります。
それから,日本の大学に出す学位論文ですから,研究過程の原著論文は英語で書いていても,日本語で出すのが多いと思います。
by Enrique (2021-05-01 21:53) 

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