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志賀夘助のこと [雑感]

志賀夘助は戦前,現在もつづく本邦唯一といっていい昆虫採集や標本器具の製造販売を手掛ける志賀昆虫普及社を創業した人物です。

著書のカバーにある在りし日の近影
先日「志賀昆虫」の話題を出したところ,アヨアン・イゴカーさんから渋谷の志賀昆虫*に関するコメントいただきました。
同社に関しては,良く知っていましたが,創業者の志賀夘助(1903-2007)氏については,詳しく知りませんでした(かつて店に行った時にお会いしているとは思うのですが)。そこで氏が1996年,93歳の時に出した「日本一の昆虫屋~わたしの九十三年~」を読んで見ました。

思い起こしてみれば,同姓の知人もいますし,当方の祖父と年齢が近くかつ名前も似通っていて(たぶん一回り違うのではないかと思います),親近感を持ちました。

何よりも同社は昆虫マニアのメッカです。採集用品に標本作製用品。かゆいところに手が届くように揃っています。お値段は,子供にはやや高いのですが,昆虫学者も使う用品としてはリーズナブルです。子供が小遣いを貯めても何とかなる価格です。

赤貧から身を起こした氏には,昆虫学の普及と言う明確な哲学がありました。
食うに必死な状態で,子供時代から勉強はしたくてもできない状態。子供の自由な遊びすら許されませんでした。後に日本一の昆虫屋になった氏は,自身の子供時代に虫を追いかけたこともなかったのです。だから子供たちに自由に虫を追いかけさせたいと。

世間では,
「虫けらなんてかまってどうする」
という考え方と,
「虫だって生きているのに,殺すのは可哀想」
という考え方に分かれます。

どちらも当方の認識とは合いません。
しかし,世間のほとんどの認識はそのいずれかなのでしょう。

氏が育った時代は前者だったのです。いや現在だってそうでしょう。大規模な開発の前には,虫けらはおろか,あらゆる自然環境のダメージは二の次とされます。「人と虫とどっちが大事だ?(「虫」の部分が鳥になったり魚になったりします)」という論理にすり替えられます。「虫の方が大事」なんて言おうものなら。。。永久に話し合いはつかないでしょう。

当然重要なのは共存です。その開発をしないと人間は死ぬのでしょうか?
しかし虫を始めとした生き物は間違いなく殺され生息環境を追われます。

きれいごとと言われそうです。むろん,その開発をしないと食うに困るとか生活を脅かされるならば別ですが,衣食足りたら,むしろ人間の生をより良いものにするために,自然環境への配慮を考えるのは当然の事でしょう。

環境への配慮というよりも,人間の経済活動に関われば,多少は考慮されます。経済活動は人間の所業ですから「人と虫とどっちが大事だ?」という論理が成り立たなくなるからです。
魚が獲れなくなる,作物が穫れなくなって生活ができない,となれば何らかの配慮はなされますが,金額の多寡・経済原則で押し切られるのが常です。

昆虫関連で生活している人は,昆虫学者を除けば世の中で志賀さんくらいしかいませんでした。
虫一匹捕らえて標本にするのと,大規模な開発を行うのと,可哀想さの程度が異なります。
多くの種類の何億匹にもなる虫を抹殺する行為に目をつむり,虫を一匹捕らえて標本にするのが可哀想だなんて偽善にも程があります。ただ,仏教に基づく殺生の考え方がありますので,それは氏も感じたのでしょう。西洋人の様なドライさはなく,氏は虫供養も行っています。大規模開発では,工事の無事を祈る祭祀は行われても,生物の殺生を省みるでしょうか?

無論,開発だけでなく,虫マニアにも問題はあります。採集するだけでなくて,食草ごとごっそり持ち帰って飼育する行為。研究のためならいざ知らず,飼育して羽化したての蝶を標本にする行為は私には出来ません。志賀さんも同じではなかったかと思います。飼育マニアも昆虫屋さんのお客ではありますから,自分はしないというだけで,あえて批判はしていませんが。

苦労人の氏には自分の哲学の押し付け的なところはありませんが,おかしい事はおかしいと行動を起こします。
一時期デパートで昆虫標本が売られました。それを買って夏休みの宿題に出した子供が好成績をとって,真面目に採集した子の標本が低評価。確かにこれでは,真面目な子供が浮かばれません。教育上有害です。というか金を使ってうまくやった方が勝ちという教育になります。しかし先生方に昆虫の知識がまるでないから,綺麗な日本にいない虫の標本を高く評価してしまったのです。この件に関して,当時の文部省に出向いたとのことです。そのおかげか,デパートで標本が売られることはなくなりました。

貧富の差が激しかった戦前の富裕層の子息でも,親は子供に余分な金を持たすのは好ましくないと心得ていたようで,バカみたいな金の使い方はさせませんでした。

有頭のシガ昆虫針の開発には20年も掛かったとの事です。まともに使える昆虫針は志賀製のみというのも驚くべき事です。昆虫針に限らず,採集用具標本用具はく製や植物採集用品もそろえています。日本唯一とは言え,昆虫だけでは商売が細るとみたのでしょう。小さいですが日本に無くてはならない会社です。

大変な逆境にもめげず子供たちを虫に親しませたいという熱意で志賀昆虫普及社を興し,常に道具器具等の開発を行い,子供たちだけでなく,昆虫学の研究分野にも重要な貢献をしました。自らも90歳過ぎても昆虫採集(特に蝶)を行い,104歳まで矍鑠と生きた夘助さん。生まれつき非常に体が弱く,貧しさもあり幼い兄弟たちをばたばた亡くし,両目失明しかけたが辛うじて片目の光は残った。後に非常に残念な事故で亡くなってしまった長男の分まで生きたのでしょう。虫たちが自分を元気に生かしてくれたと,感謝しています。奥さまにも恵まれたと読み取れます。

それにしても,健康にはジムなどに通うよりも,昆虫採集が一番!
他の自然相手の活動よりも危険性がほぼありません。
幼いころ病弱で両目失明しかけたほどだった志賀夘助氏が104歳の天寿を全うできたのも,虫たちのおかげなのです。90歳を過ぎてからも台湾やインドネシアで昆虫採集をしています。
8月は虫が減るシーズンなのですが,志賀さんも仕事の関係で採集をするのは8月からが多かったと書いていました。


*現在店舗は品川に移転して営業中のようです。

日本一の昆虫屋―わたしの九十三年

日本一の昆虫屋―わたしの九十三年

  • 作者: 志賀 夘助
  • 出版社/メーカー: ネスコ
  • 発売日: 2020/08/21
  • メディア: 単行本

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アヨアン・イゴカー

>「人と虫とどっちが大事だ?」という論理
あれかこれか、と言う二者択一を迫る論理を、若い頃は、すっきりしていて正しい考えだと思っていました。が、今では、こういう考え方の愚かさ、余裕のなさ、不自由さを強く感じています。
養老孟司氏が「真理は単純だが事実は複雑だ」と書いていましたが、至言だと思います。

志賀昆虫のページ見て見ました。
捕虫網、竹ざお、三角ケース、三角紙、展翅板など、父が持っていた品々を懐かしく思い出しました。
営業続行されていて、嬉しいです。URLのご紹介有難うございました。
by アヨアン・イゴカー (2020-08-23 13:58) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,
誰も反対できない単純な二者択一を迫る論理は良く使われます。物事を強引に押し進める際に用いられる手法とみえます。単純でない事実を無理やり単純化して,さも正当であるかのように振る舞います。不当な単純化こそ批判されないといけないのに,勝手に単純化した論理への白黒のみ強硬に迫る狡猾なやり方です。

志賀昆虫の品川の新店舗にはまだ行ったことがありませんが,昔買った痛んで使えない捕虫網などを更新しないといけませんので,近いうちに行くかもしれません(現在はネット購入でしょうか)。展翅板とかはあまり痛まないので,一度に大量に展翅するとかでなければ一生ものです。

by Enrique (2020-08-23 18:07) 

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