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演奏を考える~論理と非論理のはざまで~ [演奏技術]

弾いた音を聴くとか,楽器で歌うとか
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演奏において,音を良く聴いて弾きなさいと言うのはよく言われます。
しかし案外これは良く分からないものです。

「歌って」というのも,初心の頃は良く分からない事の一つでしょうが,一旦分かると世界が広がった様だったと,誰だったか忘れましたが演奏家が述懐していたのを思い出します。何もこれは演奏家に限らず,楽器やる人なら誰でも通る道だと思います。

「音を良く聴く」にしろ,「歌って」弾くにしろ,いきなり言われても分かりません。私など独学が長いですから,長年分からずに来ていたと思います。今もどこまで分かっているかどうか怪しいものです。たどたどしく演奏していても,多分そこそこ聴いています。全く聴かないで演奏することなど多分出来ないと思われます。

その論理性
虚心坦懐に考えれば,よく聴かなくたって物理的には音は出せますし,正確なメカニクスを身につければかなり弾ける事でしょう。楽器経験の浅い人はその様に思ってしまうのです。しかも,この考え方の方がむしろ論理的には正しいのです。弾いているのは手であって,耳で弾いている訳ではないですから。

同様に,「歌うのは声であって,楽器で歌うってどんなこと?」と楽器をやらない人や初心者の人は思う事でしょう。それは当然正しい疑問です。楽器で歌うなんて非論理的な事を言っている訳ですから。

しかし,その様なシンプルな論理で割り切りますと,演奏芸術など成り立たなくなってしまいます。音を良く聴く事は,様々なレベルで演奏を良くするための重要なポイントなのですが,途中の説明が面倒くさいから,一言で言ってしまっているのです。楽器で歌うにしてもそうです。大人になってそういう事を習うと,それが非論理的ないしは論理飛躍と感じられてしまうのです。

その辺も,楽器演奏は,あまり理屈で物事を考えない子供時代からやってしまうのが良い理由の一つでしょう。だいたい楽器を弾くなんて行為は非日常的で人間の生存には直接関係の無い事です。そういう意味では知的で理性的な営みなのですが,その演奏や訓練に関しては非論理的で体感的なところもあります。ウチの妻など,私が理屈を言いだすと怒り出します。私にはあまり言っている自覚が無いので,妻が怒りだすと,ああそうだったのかと,それをモニターにして納得するわけです。

言わずもがなの解説
敢えて言う必要もないことだと思いますが,なぜ音を良く聴くと良いのでしょうか?
「良く聴く」のレベルも色々ですし,演奏レベルにもよりますが,私なりの解釈では,まず練習段階で音を良く聴いて練習すれば,仕上がりが圧倒的に良くなると思われます。自分の技術以上の演奏は出来ない訳ですが,良く聴くことにより,自分の持てる技術を最大限動員して,自分の持てる美感を表現できると思います。技術が不足するようならば,技術練習をするか,曲が難しすぎるなら止めるかのどちらか(実際には技術不足のまま突き進む事が多い)ですが,いくら技術があっても自ら聴き取れる以上のものは表現できないでしょう。

音を良く聴かないで弾いていると,上で述べた事が全否定になるわけです。往々にして手の都合で弾いてしまい,音楽になっていない事があります。極端な場合音を間違っていても気づかない事も起こります。良く聴くと言う事はフィードバックをしっかり掛けると言うことです。厳密に言えば,演奏中は弾いてしまった音そのものを取り戻す事はできませんので,ひと固まりの音の流れに関してフィードバックを掛ける事です(もちろんヴィブラートを掛けるなどの行為は個別の音のフィードバックだと思います)。練習の際ならば,弾き直すという文字通りのフィードバックもありでしょうし,ゆっくり練習というのもフィードバックをより有効に働かせるための手段でしょう。練習そのものが大いなるフィードバックなわけで,良く聴かないで練習しても,細部にきっちりとフィードバックが掛らないという事だと思います。

もちろん,フィードバックとは修正信号ですから,前向きの流れ,歌って弾く事の方がまずは一義的には重要で,聴くという行為は確認作業という事になります。譜読み段階では,フィードバックの嵐ですが,練習が進み,仕上がりが近づくと修正信号としてのフィードバック量は減って来ます。仕上がりに近づけば近づいたで,そのレベルでも良く聴くわけですが,聴くと言う行為はだんだん確認のみの状態に移って来る事でしょう。

仕上がった曲を発表する際はどうでしょうか。
練習段階と異なり,きっちり暗譜して弾き込んだ演奏は,いわば自動演奏モードにしている訳です。「練習の成果」という作品を会場で展示している様なものです。ただ,楽器演奏は時間芸術であり一期一会であるところが違います。会場や時間様々な環境との相互作用で異なって来ます。自分が最も良い状態で弾けた演奏の録音を,会場で流せたらどれだけラクかと思います。十分弾きこんで自動演奏モードにしている曲であっても,絵画の様に会場で展示するわけでもなく,録音を再生するわけでもなく,じかに演奏をしなければなりません。そこでは,歌いながら弾くと言う行為と確認作業としての聴きながら弾くと言う行為とを同時に行わなければなりません。場所に合わせ,自分の歌い方と聴き方とを如何にコントロールするかなのです。何を今更な事を書いていますが。
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REIKO

楽器によって使う体の部分が違いますが、どこを使うのであっても「体の都合」がミエミエなのは、「ヘタな演奏」に間違いありませんね。
体の都合に振り回されていないか、耳でちゃんと自分の演奏をチェックしてなければ、上達なんてあり得ないと思います。
というか、それをするのが練習なんでしょうね。

もうマスターした曲でも、例えば1⇒2⇒3⇒4⇒5…というふうにクレッシェンドする箇所(数字が音量)で、1⇒1.2…と予定より弱めに弾いてしまったら(ちゃんと聴いていればそれが分かります)、次に「3」だと急に強くなり過ぎるので、「2.5⇒3.8」として「5」まで自然につなげることができます。
演奏しながら頭もフル回転です(笑)。

by REIKO (2015-11-20 17:37) 

Enrique

REIKOさん,ありがとうございます。
私の観念的な話に,具体例を示していただきましたね。
まさに,そういう事です。
出来上がった曲であっても,「本番もエクスペリメント」とか言われます。
じっさいに演奏する環境下で如何に最善に持っていくか。
そのように演奏に集中することで,上がりも防げるかもしれません。
by Enrique (2015-11-20 18:03) 

シロクマ

音を一度記譜化した楽譜のままでは視覚だけでしか考えられないですがドレミで声に出して歌うとドレミで解凍&復調する感じで音として理解しやすくなる感じが生じるのが不思議ですが実感としてします。早いパッセージなどはちゃんとドレミで声に出して言えるようになると内容が掴めた気になり意外に手の動きも多少ゆとりを持ってスムーズに動く様に感じますよね。

羨ましいですが音楽の天才と言われる方々は小さい頃から言語獲得と同時期に楽譜と音を感性として獲得しているので楽譜を見ただけで聴覚と結びつくのかも分かりませんが、凡人にとっては定義し難い音を楽譜だけで与えられても分からず、変に頭で考える分内容が掴みきれず、癇性!?が刺激されてイライラが募るばかりですねー笑。

歌を音の繋がりとして捉え、音階で記譜して、、、それとまた逆の手順で再生してみて自分で聴いて評価する、、と結構言葉で説明していくと煩雑ですね。
本来分からない音を分からないけどドレミで定義していく過程に音を捉える秘密がある気もします。全てを周波数とボリュームで記述されていたらまた別ですが(情報過多でコストが大変そう)
初音ミクがもっと進歩すればいずれ5線譜はとって代わられるでしょうか?


by シロクマ (2015-11-21 11:06) 

Enrique

シロクマさん,ありがとうございます。
楽譜は1回読んでしまえば良いのでしょうが,私の場合視覚情報を楽器に翻訳しているところがあります。
幾つかのチャンネルで把握しておけば音の把握は圧倒的に有利になりますね。アタマの中で歌って弾く事を書きましたが,実際に声を出して歌うのも有効ですね。
楽譜は間接的な情報であり,その記譜読譜は現在となっては非効率かも知れませんが,当分は無くならないのではないでしょうか。五線譜は,数字や数式などと共に世界共通語ですので,大変有難い面があると思います。


by Enrique (2015-11-21 21:47) 

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