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「ベントーベン」と「ショッパン」 [作曲家]


小学生低学年のころ,私含め子供たちが言っていたギャグです。そういう素材にされるくらいですから,このお二人は大変メジャーなのでしょう。むろん前者「弁当弁」ですし,後者は「食パン」でした。そんな漢字すら分かってなくて,ただ音がオモシロいから言っていただけでした。だいたい,「食パン」は「ショクパン」のはずですが,なぜか皆そう言っていました。私など,甘くなくてちょっと塩っぱいから,「塩ッパン」だとばかり思っていました。いい加減なものです。そんな状態で最初に覚えた音楽家名でした。ハイドンやモーツァルトの方は,だいぶ後だったと思います。

高学年にかけて,音楽室に掛けてある音楽家の肖像を眺めていましたので,そこに並んでいる大概の音楽家の名前と大体の年代も分かりました。たしか,「古典派」としてバッハ,ヘンデル,ハイドン,モーツァルト,ベートーベンが並んでいました。ここまでが「古典派」で「形式のうつくしさ」とか何とか書いてありました。

バッハの前は,殆ど音楽の原始時代の様な扱いだったので,良い歳になるまで,現在の音楽はバッハに始まるものだとばかり思っていました。というのは,日本の歴史の年表も教室に貼ってあったので,いやが応でもそれと対応付けてしまいます。バッハが奈良時代くらいのイメージですので,それ以前は古墳時代か下手をすると弥生時代か縄文時代の様なイメージでした。

現在の小学校の音楽室には,あのような肖像画や音楽史年表は貼ってないのだそうです。西洋クラシック音楽偏重の是正や,どうしても固定観念を持ってしまうという年表の表現の限界からでしょうか。

ベートーベンのとなりがシューベルトだったと思います。ここからロマン派です。シューベルト,シューマン,ショパンの順番ではなかったかと記憶します。そうそうメンデルスゾーンもいましたし,ブラームス,チャイコフスキー。民族楽派あたりになると記憶が曖昧ですが,リムスキー=コルサコフが入っていた記憶があります。名前が長いので印象に残っているのでしょうか。


印象派のドビュッシーはなぜか横顔なのでした。それまでの肖像画でなくて,写真になっているので結構新しい人なのだなと分かります。後頭部が絶壁なのが印象的でした。並ぶラヴェルは全く現代風の紳士でした。ストラビンスキーが一番新しいあたりだったと思います。現代の曲を作る人は,何かコワそうな人だなと思って見ていました。滝廉太郎の肖像画もあったと思いますが,どの辺の位置に並んでいたかは曖昧です。

年表内には有名作曲家の代表曲が書き込まれていました。バッハの代表作が「G線上のアリア」とあり,最初何の事やら分からずに見ていました。G線も知らなければ,アリアもわかりません。てっきり,マリアのように女性の名前で,何かバレエ曲の様なものかなと勝手に想像していました。メンデルスゾーンのバッハのマタイ受難曲の再演というのも書かれていました。ムソルグスキー「禿げ山の一夜」やボロディン「中央アジアの草原にて」という曲名も印象深いのですが,中学で見たものとごっちゃになっているかもしれません。


まるで音楽がバッハから始まった様に見えるとか,クラシック偏重とかいろいろ批判もあるでしょうが,私は授業中飽きずにあれを眺めていたので,貴重な情報だったと思います。理科室や理科準備室が未知なる不思議な空間だったのと同じ様に,音楽室というのも,楽器があり五線譜があり音楽家たちの肖像やら音楽年表が貼ってある事で,そこにいるだけでわくわくする空間だったと思います。後年,クラシックギターを開始したとき,ギター作曲家のカルリやソルはベートーベンと同じ年代とか,タレガはあのあたりとか,大体音楽年代の想像がついたのは,音楽室の年表のお陰だったと思います。


うるさく正確性などを問えば問題もあるのでしょうが,後年分別が付き,色々分かったところで,各自であれはああいう事だったとか,少しヘンだったとか修正すれば良い事でしょう。バッハから始まったと見るのも現在なら少々乱暴な話ですが,当時の研究水準で小学生に教える内容としては十分正確だったのではないでしょうか。正確を期す為あるいは偏りを避ける為に一切教えないというのは,逃げにしか過ぎない様に思います。何も呼び水の無いところには,後からも何も入らないかも知れません。あれはあれで良かったと思いますし,良いものはそのままでも改善しながらでも続けて行くのがよいと思うのです。
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アヨアン・イゴカー

知識をつけるためには、まず最初に骨格となる部分を形成する必要がありますが、私も記事にあるように従来の教え方は一つの方法だと思います。
今思えば、音楽の先生が作曲家や音楽そのものについて、一度も熱く語ったことはありませんでした。それは、問題ではないかと、もっと、熱く教えてくれる人がいたらよかったと今では思います。
尤も、先生がどんなであれ、音楽は大好きでしたから関係ありませんでしたが。
by アヨアン・イゴカー (2014-06-05 22:30) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,nice&コメントありがとうございます。
現在のやり方は,クラシック音楽偏重を改めたのだろうと思います。従来はお勉強的側面が強かったですから,「音楽は好きだけど学校のはイヤだ」という現象を生んだ側面があったのでしょう。現在なら民間の教室などがさかんですから,個別的には各自学んで下さいと言う事なのでしょう。仰ると通り環境がどうであれ好きな子はやります。教育方法の効果は長い目での検証が必要だと思います。
by Enrique (2014-06-06 07:06) 

黒板六郎

音学とせず音楽とした明治人の先見性に乾杯!
by 黒板六郎 (2014-06-07 21:52) 

Enrique

黒板六郎さん,コメントありがとうございます!
私の年代以前は「音学」的な取り扱いだったのかも知れません。私の兄の年代では高校受験科目に音楽がありましたし。
用語の翻訳には迷訳誤訳厳めし過ぎるものも多い中,音楽関係の翻訳は名訳が多いと芥川が書いていましたが,音楽そのものもそうで,そのエンターテイメント性に配慮したのでしょう。
by Enrique (2014-06-08 06:05) 

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