SSブログ

大人のマナー [演奏技術]


若い頃は,形式的なものがキライでした。

今も基本はそうですし,今もって分別がついてないですが,実は単なるマナーと言われることにも理由があり,文化の裏付けがあるものだと言う事に少し気づいています。
マナーというと,単に守るもの,覚えるものとしておけば,イチイチ理由を説明しなくていいわけですから,指導側がラクという側面もあります。もちろん「自分で考えろ」と敢て理由を示さないという場合もありましょうし,「理由は知らんがそれがいいんだ」という立場もありましょう。


先日取り上げた「からばさみ」の件も,鋏が切れなくなるという現実的な理由とマナーとが合体している様な気がします。「から」でしょきしょきやるのは,危険でもあるでしょう。いわば「百害あって一利無し」の行為はタブーにしておけば,快適な生活を送れるということなのでしょう。

他の日常的行為では,「迷い箸」が思い浮かびます。これは現実的な悪影響は少ないですが,「見苦しい」と言えば言えるでしょう。同席者が不快感を持てば実害です。「迷うのはみっともない」,「一旦決めた事は変えない」といった和的な美意識に連動したマナーでしょう。その意識が良いか悪いかは別として,そういう背景なのだと理解出来れば,納得して守れますし,忘れる事もありません。お箸に関して他にもは色んなマナーがあります。


以前和声進行の禁則について書きましたが,アレはなかなか難しく,今でもよく理由は分りません。それに,そもそも幾多の禁則そのものも良くは知りません。対位法に至っては禁則のカタマリのようです。それを駆使して作曲するわけでもなければ覚える必要もありませんが,それを覚えておけば快適に作曲が出来るのだとしたら,便利なツールにもなるわけです。ただ,それを墨守するだけでは新しいものは生まれにくいでしょう。いわば両刃の剣です。

マナーや禁則には,本来理由があるはずですが,それらが微に入り細にわたると,イチイチ理由を示すのはメンドウなので,いつの間にか教条的になってしまうということもありましょう。


世の中,「これが良くてあれが悪い」なんて一面的には言えない訳ですが,「〜道」や「〜術」に良く「型」から入るというのがあります。その分野をたしなむ人間ならばだれしもが最低限押さえておくべき基本,定石というものがあります。これなしではその分野に入門した事にはならないでしょう。しかし,およそ人のやる事で変わらないものなどなく,先人を乗り越えて行くためには,タコツボの中の型に嵌っていたのではどうしようもありません。バルエコが演奏技術の取得に日本の古武術を取り入れたという話があり,彼の演奏からは「さもありなん」といった感じも受け取られます。

茶道のお点前のコツに「直線的動作はダメ」というのがありますが,これも演奏動作には結構参考になりそうです。おそらくその方が動作がスムーズに行き美しいのでしょう。逆は必ずしも真ではないかもしれませんが,ムダの無い動作というのは美しいはずです。

マナーや禁則の背景がわかるというのは,物わかりが良くなって来たといえるのでしょうが,反面,歳かなとも思います。何でも妙に納得してしまうのもどうかとも思います。歳ならば仕方ありませんが,昨今物わかりの良過ぎる若者が多い様な気もしています。
nice!(4)  コメント(6) 
共通テーマ:音楽

nice! 4

コメント 6

ミタチ

お久しぶりです。ミタチと申しますが覚えておいででしょうか。
あまり積極的には話しに加われない性格でして、奥の方から読ませてもらっています。

>昨今物わかりの良過ぎる若者が多い様な気もしています。

確かに私もそう思います。ですがこの本当の意味は、物の道理をわからない若者が多くなったという意味ですよね。解ろうとしないと言ったほうが正確かもしれませんが。
それだけでなく高齢者においても同じ傾向はあるように感じています。
こっちは変化を好まないという考えからかもしれません。

>「〜道」や「〜術」に良く「型」から入るというのがあります。

ギターの奏法に関しても同じようなものだと思いますね。
特に少し前のギター教則本などは、楽器の構え方や両手のフォーム、更には弾弦の仕方などには疑問点だらけです。ですから私は先生の教えを守ってはいませんでしたが、その為かその後30年以上過ぎても今だに納得できる方法は確立しておりません。今だに試行錯誤の繰返しですが、「型」は状況に応じて異なるのだということだけは確信しました。つくずく損で不器用な性格だと自身思っています。

by ミタチ (2014-04-01 00:11) 

Enrique

ミタチさん,お久しぶりです。もちろん,よく記憶しております。
いい加減な記事が多い中,読んでいただいてありがとうございます。鍵盤や作曲をなさっている方だとばかり思っていましたが,ギターを永年やっておられる由,同好のよしみを感じています。
若者の件は蛇足だったかなと思ったのですが,ある意味現代の若者は大人なんでしょう。学力低下なんて言われますが,就職とかではかつての若者よりもはるかに苦労をさせられます。いちいち疑問に感じていたらやってられません。若者というよりも社会がそうなって来たということでしょうか。
職人でも,「物覚えの良い奴はダメ」だというのを聞いたことがあります。表面的な動作だけ学ぶから,結局応用が効かず大成しないということでしょう。しかし,社会は熟達した職人じたいが多くは求めておらず,熟達した職人は住みにくい世の中でしょう。
ご指摘通り,「型」から入るというのを,ギターの学習の比喩にしてみました。長い伝統に育まれた分野では型にはめてしまえばラクですが,クラシックギターの奏法もそんなに確立したものではありませんね。私も長年合理的でない奏法でムダに時間をつぶしてきたような気もしています。
ここ10年15年世の一流奏者の方々は,カルレバーロ奏法がベースになっているようで,遅ればせながらこの奏法の習得中です。もちろん「型」ではなくて,脱力や合理的な弾弦原理などの基本思想の方が大事だと思っています。結果としてそのような「型」になるのならそれはそれでいいですが。
by Enrique (2014-04-01 12:21) 

Tommy

定年後にギターを始めて7か月目の高齢の初心者です。
こちらのブログの記事内容を勝手に何回も参考にさせていただいてます。とても参考になる記事が多く重宝させていただいています。これからもよろしくお願い致します。

今スケール感覚を育てるための基礎練習をセゴビアの24種で始めていますが、ギターの場合は固定ドまたは移動ドのどちらで音階練習した方が良いのか迷っています。いつかこちらのブログで取り上げていただけると嬉しく思います。勝手な希望をお許し下さい。
by Tommy (2014-04-01 19:53) 

Enrique

Tommyさん,コメントありがとうございます。
固定ド,移動ドの問題はなかなか奥が深い様です。
一般に楽器は固定ドと言われており,私もその方がやり易い様に思います。楽器演奏の場合臨時記号がつく事も多いですし,調号の多い調でもどの音に付いているかを意識さえしていれば良いと思います。多分に慣れの問題も有ろうかと思います。ソルは作曲家としては珍しく移動ドだったようで,確かにギターの場合は,同じ運指でポジションを変えることで調が変わりますので,鍵盤よりも移動ドがやり易いかもしれません。カポタストをした際は間違いなく移動ドですね(というか押さえの条件反射で弾いているところがあります)。
音を出す前にしっかり歌っておくのは暗譜をする上でも非常に有益のようですが,なかなか出来ません。この件,有益な事が書けるかどうか?ですが,ちょっと考えてみます。
by Enrique (2014-04-01 22:17) 

アヨアン・イゴカー

形、規則が大嫌いな人間で、抵抗ばかりしていました。今でもです。
確かに規則には、先達達の英知が込められているのは分かりますが、若者は自由に振舞いたいものだと思います。そして、私は、若者ではなくなっている今でも、相変わらず自由に振舞いたがっています。この点全く成長していません。(笑)
by アヨアン・イゴカー (2014-04-06 15:05) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,nice&コメントありがとうございます。
規則を作ってそれに従えばラクな人もいるのでしょうが,私も基本イヤですね。「なるほどそう言う意味だったのか」と,納得出来る規則もあれば,無意味で有害なものもありますので,無批判に従うことの弊害だと思います。若者は既成のルールを壊していくものだと思いますが,自己規制して自分自身をしばるのでは一種のマゾだと思いますね。
by Enrique (2014-04-06 19:08) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。