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美しき破壊 [雑感]

音楽にしろ,美術にしろ,旧来の表現が成熟しマンネリ化してきた頃,破壊者が出てくる。これを,「美しき破壊」とでも言おうか。しかし,旧来のスタイルを支持する立場からは攻撃を受けたり,評価されないことも多い。破壊しないと新しい美しさは見えてこない。破壊面をこの上なく美しく感じる人もいれば,単に醜いだけと見る人もいよう。

昔「バロック音楽のたのしみ」だったかで聞いたと思うのだが,バッハの時代,当時最も人気が高かったのはテレマン,ついでヘンデル。バッハは4位か5位(記憶があいまい)で,評判上芳しくなかったらしい。バッハゆかりのセント・トーマス教会も本当はテレマンを呼びたかったのだが,人気が高くて呼べず,仕方なくバッハにしたらしい。バッハはその後完全に忘れ去られ,その認知はメンデルスゾーンのマタイ受難曲の再演まで待たなければならなかったのは,音楽の教科書にあるとおり。無伴奏チェロ組曲などは,単なる練習曲とみなされていて,20世紀のカザルスの再発見まで待たなければならなかった。それほど,バッハの音楽が画期的革新的であり,後世の天才に紹介されるまで理解されなかったということだ。

バッハに限らず,このような例は芸術学問分野には枚挙にいとまが無い。チャイコフスキーのピアノコンチェルトをニコライ・ルビンシュタインがこき下ろしたのは有名な話だし,アランフェスをセゴビアが嫌ったというのも良く語られる。他分野でもいろいろあるだろうが,例えば19世紀ジョージ・ブールの創始した二進数の代数は,当時全く価値が認められなかったが,20世紀のデジタル回路の基礎理論をなしコンピュータの誕生を促したことは,この分野の専門の人なら必ず教わる。

ギターの世界でのバリオスの曲も,伝統的スタイルを取りつつも,オリジナリティが高い。それは近現代の洗練された美しさというよりも,曲にもよるがバロック的であったりロマン派的であったりする伝統的な美しさが,モザイク状に独特な和声進行で組み合わされているところが新しい。現在はセゴビアのようには嫌う人も少ないだろうが,これを旧来のスタイルからの脱却と見るか,ちょっと変と思うか好みは分かれる。ブログ開始直後書いたが,これを消化できるのはやはり,ジョンのようなコスモポリタンだろう。当人,ワルツ3番と4番はかつて取り組んだが,その他沢山ある作品には今のところ取り組めていない。

(以上の文の大半は,ブログ開始直後に書いたため,現在の雰囲気とは合わないかもしれない)
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